昨日の昼にヒロコ姉さんがヨコハマからやってきた・・・
猛母はモルヒネが効いていて終日まどろんでいる・・・・
猛母は寂しいのだ・・・・・猛母の理想の死に方は
知り合いがみんな駆けつけてくれて猛母の周りに集まり
猛母の最期を見届けてくれるというものらしい・・・・・
そんなテレビドラマみたいな結末は無理な話だ・・・・・
俺はいったいどんな死に方をするのだろう・・・・・
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「このマザコン野郎め!!」
そんな罵声を何人の人から受けたことだろう・・・・・・
俺はマザコンである・・・・一説によると男性はすべてマザコンらしいが
猛母は金儲けが好きであった・・・・仕事が好きであった
「世の中の9割以上のことは金でかたがつく・・・・」と豪語してはばからなかった
だから商売に熱心であった・・・・働いて、働いて、金を儲けて・・・・
猛母は馬車馬のように働いた・・・・・働けば働くほど金が儲かった
乳飲み子の俺を舅に預け
朝は3時に起き出し市場に向かい、夜は9時過ぎに帰ってくる
そんな生活の繰り返しだった・・・・・・・
一人息子の俺は可愛いが仕事はしなければならない・・・
仕事から家に帰ってくると一階で舅の布団で寝ている俺をそっと抱き上げ
二階の自分たちの部屋へ運び3人で寝た
そして朝、出かけるときに再び俺を抱き上げ舅の布団に戻す・・・・
幼かった俺は親達のしていることは解っていたがどうしようもなかった
俺が寝ているうちに帰ってきて俺が寝ているうちに出かけていく
日曜の朝、目覚めたときに両親が布団の中に居るのを見つけ
久しぶりに会うなあ〜〜と、思ったものだ・・・・・・
そんな俺が1年の中で一番好きな日があった・・・・・
それは誕生日でもクリスマスでも正月でもない
2月1日・・・・・・その日だけは旧正月の習いで市場が臨時休場日となるのだ
年にたった一回だけ、小学校へ登校するときに両親が揃って家に居る日なのだ・・・
家の玄関を出るときに「行ってらっしゃ〜い!」と声をかけてもらえるのだ
他の子供達にとっては当たり前のことかもしれないが
当時の俺にはあんなに嬉しいことはなかった・・・・・・・
結局、やっぱり俺には幼児期の母親のぬくもりが足りなかったのかもしれない
でもそれは当時の日本では当たり前のことだったんだ
別に俺は自分が不幸だなんてこれっぽっちも思っていない・・・・
ただまあちょっと変わったマザコンになっちまったのは
俺だけのせいじゃないだろう?