今日は俺の爺さんの命日だ・・・・・・
37年前、俺が高校3年生の時に爺さんはこの世を去った・・・
俺の親父は爺さんの一人息子で、その一人息子にやっとできた孫が俺である
俺の誕生を爺さんは酷く喜んだらしい・・・・・どケチだった爺さんが
「100万円(当時では1億円ぐらいか)もらったよりも嬉しい」
とつぶやいたという・・・・・・
ところが子供の頃の俺はケチで笑わなくて怒ってばかりいる
この爺さんのことが大っ嫌いだった・・・・・・・
俺はなるべく爺さんに寄り付かないようにしていた・・・・
爺さんの訃報を聞いたのはその日の朝だ・・・俺はまだベッドの中に居た
猛母が階下から叫んだ「爺ちゃん、死んだ!!!」
俺は親父のクルマで猛母とともに爺さんの家に駆けつけた・・・
そして爺さんの亡骸の前にペタンと座ると
俺はポロポロと涙を流した・・・・・・・・・
自分でも何が哀しいのかわからなかった・・・・・・
ただどうしようもなく次から次から涙が溢れた・・・
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ケチで笑わなくて怒ってばかり居る爺さんはマージャンが好きだった
今から思えばどうしてあんな爺さんに友達が居たのかわからない
ところが土曜の夜になるとわさわさとみんな集まってきて徹夜で
マージャンをしていた・・・・・・・
3〜4歳の可愛い孫である俺を膝の上に乗せて爺さんは打っていた・・・・・
至福のときだったのだろう・・・・・・
俺はそれこそマージャンのルールなど知る由もない・・・・・
それでも爺さんが頻繁に怒鳴っていたセリフだけは今も覚えている
「はよ、切らんか!!!」
今ではその意味も解るようになった・・・・・・・
この話しをNにしたら
「それでもアンタ、昔はよう牌を叩きつけて対面の山、崩してましたで・・・・」
と、言われた・・・・・・・
やはり血は争えないものなのか・・・・・・・
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爺さんはあまり素行のいいほうではなかった・・・・・
若い頃の写真を見るとまるで○○組の若頭、といった風情である・・・
もちろん愛人も囲っていた・・・・・
・・・・マージャンとオンナが好き・・・・う〜む、誰かと似てるなあ〜
そんな素行のよろしくなかった爺さんだったが死ぬ時は鮮やかだった
全く笑わなかった爺さんはそれまでがウソのように死ぬ半年ほどまえから
コロコロとよく笑うようになった・・・・・・・
毎日、近所のご夫婦二人で仕立てをしている洋服屋さんへ出かけて行き
そこのソファにちょこんと座り、ニコニコと日がな一日笑っていた・・・・
死ぬ前の日も洋服屋さんでもらい湯をし
イチゴを腹いっぱい食べて床に着いた・・・・・・
明け方に尿意をもよおして布団から立ち上がろうとしたのだろう
そのとき脳の血管が切れ布団の中でこと切れたみたいだ・・・・
所謂、今で言うところの(ピンピンコロリ)である・・・・
理想の死に方だ・・・・・・・・
俺の親父やオフクロはこの爺さんの最期をみて、なんとなく油断していたのではなかろうか
あの爺さんでさえあんな死に方ができたのだから自分もなんとかなるだろうと
ところが現実は違った・・・・・
親父は死ぬのに9年かかったし、オフクロは5年かかった・・・・・
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生きるのは難しいが死ぬのはもっと難しい・・・・・