久しぶりに家に帰ったら窓を少しだけ開けて行ったものだから
部屋中が砂だらけになっていた・・・・・・・
近づいてきた台風の影響で砂埃の風が吹いたのだろう・・・
しばらくはまた掃除に追われるナ・・・・・
自動掃除機が欲しいけど、こないだ新聞に10月中頃に
新機種が割安で発売されるって載っていたからもう少し我慢だな
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中国がきな臭いな・・・・・・
きっとシンちゃんあたりはカリカリしてることだろう・・・
中国の若者って不幸だな・・・・・教育の大事さを改めて思いしる
昔、子供らが小さかった頃、風呂桶に3人入れて
「いいか、大事なのは真ん中に居ることや
右でもなく左でもなく、真ん中に居る事や
しかしこれがなかなか難しい・・・時によっては辛いこともある
でも人間は真ん中に居なけりゃならんのや
それには考えることや・・・・自分の頭で考えるんや」と、説いたことがあるが
息子らが小さかった頃やからきっと誰も覚えておらんやろナ・・・
この俺だって北に生まれ落ちていたらきっと
将軍様!万歳!」と叫んでいただろうし
中国に生まれ落ちていたなら「日本は滅びろ!」
と拳を振り上げていたに違いない・・・・・・・・
大事なのは教育だ・・・・・・そして中庸だ・・・・・
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強引で傲慢で独善的で独断的で自分勝手で身勝手なこんな俺が欝になるなんてとても信じられないと俺を知る人間ならば声を揃えてそう言うだろう。実際、学生の頃、バイトしていた蕎麦処のコック長からは「トネ君って地球最後の日まで生き残っているタイプやね」とニコニコしながら言われたことがある。きっと俺は厚かましくて図々しくて物怖じしなくてえげつない学生だったのだろう。それでもそのコック長は俺のことを重宝がって可愛がってくれた。そんな俺でも欝になる時は欝になるのである。小学校の3年になって俺は自分の生活にいよいよ耐えられなくなってしまったのだ。退屈な授業、話の合わない幼稚な友達、下校して直ぐに塾に行き近所の友達とは遊べない生活。その塾では毎日、国語と算数のドリルと社会・理科のどちらかのドリルをすることになっていた。ドリルは借りるだけで問題も答えも自分のノートに書き写すことになっていた。もちろん1題でも間違えていようものなら鉄拳が飛んできた。この場合、鉄拳というのはげんこつではなくて樫の棒であった。樫の棒で頭を殴られるのである。もちろん痛い。もちろんコブができる。小学生たちは耐えるしかない。それでも小学2年あたりまではなんとかあまり殴られることもなかったが3年になってから少しずつ俺の精神が崩壊し始めてしまった。ペンが進まないのである。塾の先生から言われた課題をやり始めても一向にペンが進まないのだ。自分でも何がなんだかわからなかった。いつもなら10分〜15分で出来ることがハッと気がつくと同じ姿勢のまま同じページを開いて1時間ぐらいじっとしているのだ。もちろん怒られる。もちろん殴られる。それでも自分ではどうしようもなかった。そんなことが数ヵ月続いたある日、あまりにも帰りの遅い俺を塾まで迎えに来たお袋に塾のおばちゃんが話しているのを俺は盗み聞きした「この子はうちではもう預かることはできません・・・」。俺は開放されたのだ。だから小学3年の2学期というのは俺にとってもおふくろにとっても勝負の学期となった。「ほら見ろ、塾をやめたからやっちゃんはアホになった」と言われてしまう。でもそんな心配は全然必要なかった。俺は片手間でも学校の授業ぐらいわけなく理解できたし心配なのはケアレスミスだけだった。お袋が俺の勉強をみてくれたことはなかった。ただ仕事から帰ってきて「宿題したか?連絡帳見せてみろ」と声をかけることだけだった。それでもそれだけで俺には十分だった。3年生の2学期、俺の成績は国語・算数・理科・社会すべてが5段階評価で5だった。俺は復活したのだ。