昨日が俺の親父の誕生日だったことを息子のブログで思い出す
当然のことだが俺の息子よりは俺の方が俺の親父のことは詳しい
今日は少しだけオヤジの話をしよう・・・・
俺の親父は大正13年2月21日、この世に生を受けた
とてもきかん坊の子供だったらしく爺さんには毎日こっぴどく怒られたらしい
親戚のおばさんが「イッチャンの家に行くのは怖かったあ〜」
としみじみ言ったのを覚えている・・・・
厳しい父親にきかん坊の息子で家中が殺気に満ちていたみたいだ
そんな親父もなんとか大きくなっていったが親父が尋常小学校5年の時
突然、母親がこの世を去ってしまう・・・・・・・・
爺さんは直ぐに新しい母親を迎えるがこの女性がちょっとイカれた人だった
親父はこの母親にさんざんイジメられるがそれでも親父の根性が
ネジ曲がることはなかったみたいだ・・・・・
親父はその明るく陽気な性格で大勢の友達に囲まれて育つ・・・・
なかなかそれなりに学校の成績は良かったみたいで中学校の時には
県の弁論大会で優勝したこともあるそうだ・・・・・・・
地声が大きく高校時代は応援団で団長を務める・・・・・
背の小さい親父は下級生二人を四つん這いにさせ、その上に乗って
応援歌を歌ったという・・・・・・
それでも誰彼と分け隔てなく接する親父は兎に角みんなにモテた・・・・
親父は高校を出て大学を受験するがこれに失敗・・・・・
浪人などというものがまだ一般に許されている時代でもなかったので
地元で中央市場の漁業連合組合に就職する・・・・・
ここで親父は地声を生かしセリ人になる・・・・・
あの、台の上に乗ってその日の魚をセリにかける兄ちゃんである
ここでも親父は生来の明るさとユーモアで気の荒い魚屋たちの人気者となる
ところが一方で破滅的な性格は持ったままであったから
朝まで飲んだくれていたことはしょっちゅうだったらしい・・・・
そんな陽気だが破滅的な男のところに嫁いできたのが
火の玉ガールのオフクロである・・・・・・・
そんな言葉はこの時代には認知されていなかったと思うが
とんだケミストリーを神様も選んだものである