俺が小学生の頃、昭和30年代から40年代にかけて
町内というのは一つの家族みたいなものだった・・・・・・
子供たちはよその家も自分の家も関係なく駆け回り
大人たちはよその子も自分ちの子も関係なく叱り付け
何か行事があると町内総出で集まったものだ・・・・・・
メキシコオリンピックミュンヘンオリンピックの時は
当時はまだ珍しかったカラーテレビが置いてある俺の家に町内のみんなが押しかけてきて
押し合いへし合いしながらテレビ画面に見入ったものだ
50年近く前の記憶だからそんなに鮮明にではないがとにかくなんだか温かかったような気がする
いったい何が温かかったのだろう・・・・・・
俺がどうしてこんなことを思い出したかというと先日R塾を訪れたとき
この昭和の空気があの塾にあったからだ・・・・・
なにやら温かくてそこから抜け出せばとたんに世間の冷たい風に吹き付けられて凍えてしまう恐怖感
いつまでもこのぬくもりの中に留まっていたいという内なる願い・・・
形あるものは必ずいつかは壊れるものなのだということを50年以上の経験則で知っている俺は
それが諸刃の刃のように思えてならない
つまりNが温かい場所を作れば作るほどその場所が暖かければ温かいほど
Nが消えたあとの冷たさが増すということだ・・・・・・
Nが居なくなったらあの場所で息をしている子たちはいったい何処へ行くんだろうな
まあ俺が心配しても仕方のないことだけど・・・・・・
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昨日、俺が福井の市場で店をやっていたとき隣の店だったムギヤ蒲鉾の社長が亡くなられた
享年75歳・・・・なんだか今年は知ってる人がいっぱい死ぬなあ〜〜