俺の爺さんは横暴な人間だった・・・・・・・
ちゃんとした勤め人ではあったが中身はヤクザ者だ・・・・
そして滅多に笑わない人間だった・・・・
俺の爺さんを一言で表現するなら10人が10人とも「恐い」
と言うだろう・・・・・・・・
そんな爺さんだったが死ぬ時は鮮やかだった・・・・・
昭和40年代の話である・・・・近所づきあいもまだまだあった
爺さんは毎日、同じ町内の洋服の仕立て屋さんの店に行き
一日中、そこで座っていた・・・・・・
まるでインディオの老人が日がな一日コカの葉っぱをかみ締めて道端で
座り込むのとよく似ていた・・・・・・
爺さんは死ぬ1年ほど前からよく笑うようになった・・・・・
何を見ても何を聞いても女学生のように
コロコロとよく笑うようになった・・・・
そして死ぬ前の日も一日中洋服屋さんでにこやかに笑い
洋服屋さんでもらい湯(昔はこういう風習もあった)をし
夕食後にはデザートのイチゴを腹いっぱい食べて寝た・・・・・
明け方、トイレに行こうと思ったのだろう
布団から出たところで首の血管が切れ、ばあさんが気がついたときには
もうすでにこと切れていた・・・・・・・・・
今から思えば本当に理想的な「死に方」である・・・・・・
でも当時はそんなことは誰も考えなかった
親父もオフクロも俺も・・・・・・・・
ただ漠然と人間は歳をとれば死ぬんだなあ〜と思っただけだ・・・・・
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親父は77歳の時に脳梗塞を発症し、死ぬまでに9年間かかった
オフクロは81歳の時に膀胱がんが見つかり今まさに死の床についている
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人間はなかなか死なない・・・・死ねない・・・・死を選べない・・・
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親父とオフクロは俺に「死に方」を教えてくれている・・・・と、思っている
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昨日も猛母は調子がよくなかった・・・・
一日中、熱がありしんどそうにウンウン唸っていた・・・・