俺の大学生活は1976年の春から始まった・・・・・
その生活はなにもかも新鮮で驚きの連続だった・・・・
アパートは関大裏の工学部の坂を下った突き当たりの角っこで
今ではネットのストリートビュウでいつでも見ることが出来る
鉄筋の4階建てで各部屋4畳、風呂ナシ、トイレ・炊事場は共同
というまるで刑務所のような環境だった・・・・
あとで知ったことだったがこのアパートは「関大裏の不夜城」と呼ばれていて
一癖もふた癖もあるような輩の巣窟だった・・・・・・
アパートのそこここには前年までの学生運動の爪あとが残っていて
デモで使っていたであろうヘルメットや角材や
あるいは国鉄の車両から盗んできた
列車のネームプレートなんかが転がっていた
アパートの数部屋はデモに行ったまま帰ってこないという
怪談話めいた開かずの部屋なんかもあった・・・・・・
大学に入ってからしばらくした頃、近くの街で酒を飲んで
真夜中にアパートに帰ってきたことがある・・・・・
アパートは完全に昼夜が逆転していて夜の10時ごろから明け方までが
住民の活動時間だった・・・・・・
俺がアパートに戻ったのは午前1時ごろ
いつものように先輩の部屋でマージャンをやっている
なにせたった4畳の部屋でマージャンをしてそこにまたギャラリーが
詰め掛けるものだからとんでもない人口密度の高い状態だ
俺が廊下から覗き込むと奥のほうでマージャンを覗いているオッサンがいる
俺が近くの先輩に「あのオッチャン、誰?」と聞くと
「お前、知らんのか?・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・大家やないけ・・・・・・」
え?!・・・・ええええ!!!!・・・・・である・・・・・
その頃、その付近の下宿屋やアパートでは学生のマージャンは
どこも禁止で見つけ次第ジャン牌は没収する大家がほとんどだったのだ
それがなんとこの大家は学生に混じってこんな真夜中に学生達の
マージャンをギャラリーとなって観戦している・・・・・おいおいおい
ちなみにこの大家・・・・・学生の票を当てにして市会議員に打って出たが
あえなく落選した・・・・・・・
アホやなあ〜〜昼間はほとんど寝ているやつらばっかりなのに
投票なんか行くかいな・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あれから20年以上の時が過ぎ、俺の次男が関大に入ったとき
入学して初めて住んだのがこの大家の経営するマンションだった・・・
俺が住んでいたのは第2○○寮・・・・・次男が住んだのは
第8○○マンション・・・・・・
関大の学生でいっぱい儲けはったんやねえ〜〜〜〜